観音寺の由来や、歩んできた歴史をご紹介します

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歴史探訪

香川県観音寺市歴史探訪
観音寺市の概要
観音寺市は、香川県の西部に位置し、西に瀬戸内海を臨み、南は阿讃山脈を境に徳島県と接しています。財田川・柞田川が流れる扇状地の平坦肥沃な耕地には農業地帯が形成され、瀬戸内海沿岸部には漁業地帯が密集しており、海上約10kmの伊吹島は良好な漁業地帯となっています。一方で、市の中心部は商工業地帯となっているなど、それぞれ異なった経済地帯をもっています。

観音寺のあゆみ
市域にある、室本遺跡では県下で最も古い弥生式土器が出土しており、この地より稲作が始まったことがうかがえます。また、この地が重要視されていたことは、希少な前期古墳である鹿隅カンス塚古墳からもみることができます。645年の大化の改新後、都と地方を結ぶ交通路が整備され、市域にある柞田駅から伊予の国府へと通じていました。

9世紀頃、刈田郡に属していた市域には延喜式内社が6社あり、粟井神社は、田村神社、城山神社とともに三名神大社の一つでした。また、神恵院には木造涅槃仏像(平安末期、重要文化財)、琴弾宮絵縁起(鎌倉末期、重要文化財)など、たくさんの貴重な文化財が残されています。

室町時代には、観音寺・琴弾八幡宮の門前などで定期市が開かれ、店ができ始めると、観音寺の上市・下市・今市などの町場や観音寺浦の湊が形成されていきました。このころ、自由奔放な庶民的連歌師・山崎宗鑑は、京都東福寺の梅谷和尚が、市内八幡町の興昌寺の住職として帰ったのを頼ってこの地を訪れ、一夜庵を結び、20余年を過ごしたと伝えられています。ちなみに一夜庵の名は、宗鑑が来客の一夜以上の滞在を許さなかったことに由来するといわれています。

戦国時代は、天霧山城の香川氏が勢力を広げていました。それを示す香川之景の特許状は、麹の製造販売特権を室本麹組合蔵に与えるもので、以降現在にまで室本麹はその伝統が受け継がれています。
この当時、市域には九十九城(細川氏・室本町)、柞田城(細川氏・柞田町北岡)、藤目城(斎藤氏・粟井町竹成)があり、西讃を支配した香川之景が築いた観音寺城(殿町)は、豊田郡を統括する代官所的な館だったといわれています。

江戸時代、万治・寛文年間には豊田町新田、明治8年より九十九山麓から興昌寺山麓までの有明浜の開拓が行われるなど新田開発が進められました。元禄に入り、上市浦・中洲浦・仮屋浦・下市分で漁業や海運業が盛んになると、伊吹島の漁業も次第に発展し、文化文政期に最も栄えました。 封建時代では、年貢徴収のため農民の生活は窮乏化し、相継ぐ飢饉のせいもあって、各地で一揆が起こりました。特に寛延3年の讃岐最大の百姓一揆(寛延の七義士)が起き、安政3年には黒渕村の百姓が、越境して阿波藩にすがるという逃散も起きています。

明治に入っても社会的・経済的な問題は多く、明治3年には原町大通寺を拠点とした赤心報国党事件、3年後には西讃竹槍騒動等が起こりました。明治4年、丸亀県が誕生し、高松県と合併後、阿波・淡路との合併、伊予との合併を経て、明治21年、今日の香川県が誕生しました。
大正2年には、予讃鉄道が開通し観音寺駅が設置され、観音寺と琴平間の省営自動車線開通を契機に、西讃の政治・経済・文化の中心として発展していきました。昭和30年、観音寺・高室・常磐・柞田が統合され、観音寺市が誕生すると、さらに合併をし、翌年には現在の市域となりました。


観音寺の名前の由来
807年に唐から帰ってきた空海が、この地に観音像・観音堂を建立してこれを奉り、寺号を観音寺と改名したことに起因しています。


観音寺の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
観音寺市郷土資料館
住所: 〒768-0062
香川県観音寺市有明町3-35 [地図を見る]
電話番号: 0875-25-6001
開館時間: 9:00〜16:00
休館日: 毎週月曜日、毎月末日、年末年始12月28日〜翌年1月5日
入館料: 無料







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